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筆者プロフィール

名前は「たかちゃん」とか「たかじろう」などと呼ばれています。

長野県須坂市生まれですが、ここ数年は埼玉県と接している下町に棲んでいます。

この「よろずなブログ。」の他に食べ物系をメインとする「もつ焼き・オリジナル」と、PC・OS・コンピュータ全般のネタをメインとする「かけまわる子犬。」の三つを使い分けつつ継続して書き連ねています。

宜しくお願いします。






インドの旅。デリー。

さてさて。今回のインドの旅の最後の日はデリー観光です。前日、アグラ観光で世界遺産を回り、そして急行列車にて夜にデリーに到着したあと、ホテルで睡眠及び朝食を食べてからのスタートです。

まず一番最初はガンジーのお墓のあるラージ・ガートに行きました。ウェブで調べてみるとお墓の中には何もないので記念碑だ。と、書かれているサイトが多かったですが、僕らを案内してくれたガイドさんは「灰が半分入っている。残りの半分はインド各地の川に流された。」と言っていたような気がしたんだけど、どっちが正しいのかな?まぁ、もしかしたら僕の聞き間違え。ってのも十分かに考えられるけどf(^^;;。

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続いて向かったのは世界遺産です。フマユーン廟。タージ・マハルは王様が亡くなったお妃さまのために造った建物ですが、こちらはその逆にお妃さまが夫のために造った建物だそうです。どちらにしてもインドの王家はスケールがでかいです;-)。
建物の中には中央、そして四隅に部屋が有ります。タージ・マハルと違って砂岩と大理石でできています。

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この後はデリーの街を車で散策。インド門かとレッド・フォートなどを車窓より見学します。レッド・フォートは世界遺産なので入場するのかな?と思ったのですが、今回はしませんでした。
それにしてもデリーの街を車で移動中ニューデリー・デリー・オールドデリーとあちこち連れて行ってもらいました。

で、お昼にカレーを食べたあとおみやげ屋さんにちょっと寄ってからいよいよクトゥブ・ミナールに行きます。

いやー。高いですね;-)。そしてやはり砂岩でできています。ここで見る石には、まぁ、それはつまりインド全般に言えることですが、彫刻にすごい色々なデザインがあってそれを見ている分にも十分に楽しいですね。イスラムの星であるとか卍(まんじ)であるとか、花がら、他にももっと幾何学的なモノまで。それらを見ているのも楽しいです。

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それにしてもここでは iPhone5 のパノラマ写真撮影が役に立ちました。ちょうどこの間名古屋タワーを撮った時のような感じです;-)。

ここを散策してインドの世界遺産めぐりはほぼ終了。今日も十分に歩きまわったし暑いのでヘロヘロです。有る意味レッド・フォートを入場見学していたら疲れ果てて動けなくなっていたかもしれませんf(^^;;。

今日のインドの最終日、デリーでの散策の風景はもつやき写真館のほうにドドドと掲載したのでそちらもご覧頂ければと思います。

 
このあとは紅茶を買いにおみやげ屋さんに行きます。そこでダージリンとオレンジペコを購入のしたので、これでグルっと最初のエントリにもどりましたね;-)。

インド最後の晩御飯はなんと中華っ!! 一応ちゃんとした味の中華料理を頂きました。カレーで無かったのうが嬉しいような悲しいような。そんな気分になりましたが。デリーは首都だけあって色々な料理が食べられるそうです。それで、最後の晩御飯は中華になったようですが;-)。

 
ふぅ。これで今年の夏休みの旅は全て終了。デリー空港に22:00頃着いて、飛行機が飛び立つのは02:45です。じっくりと最後のインドを満喫したのであります;-)。
暑いインドでしたが雨期で助かった。そして辛い食べ物(カレーばっかり食べていた)と、いうのが素直な感想です。あ。歴史的なモノも面白かったですね。

皆様。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

インドの旅。アグラ。

ベナレスから夜行の寝台車に乗ってアグラの駅に付きました。着いたのは早朝です。そこからホテルに向かい、シャワーを浴びて朝ごはんを食べてちょっと一休みして 09:30 頃にお迎えがやって参りました。本日は世界遺産を満喫するのであります。

アグラと言えばインドの世界遺産の宝庫(『それしか無い。』とも言うらしいf(^^;;)。今回は全部で三つの世界遺産を回りました。

一番最初に行ったのは上がつまめるあの有名なタージ・マハルです。随分手前でガイドさんが入場券を買ってきてくれて、らくだの馬車ではなく電気自動車で南門まで行きました。この辺りは茶色い砂岩で出来た建物ですね。で、大きな門をくぐると白い大理石の建物が見えて来ました。おぉーーっ!! タージ・マハルだぁ。みたいな感じです。

四隅に立っている塔は心持ち外側に向いていて、何かあって倒れたとしてもドーム側には倒れてこない設計になっているそうです。なるほどねー。 タージ・マハルの左側はモスクで右側は迎賓館だそうです。

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この写真は良く見ますね。で、中に入って裏側に回ると川が流れているんですね。こっち側の写真てあまり見ないような気がする。

あと、上の写真ですが、白い建物とどんよりした空。今回行った時は雨期なので空はこんな感じでどんよりです。おかげでトテツもなく暑いというようなことは無かったのでまぁ、よしとしたいところですが、それにしてもパっとしない風景ですねぇ・・。

 
次に行ったのはアグラ城。車から降りて橋を渡って門の前を見た時、中世ヨーロッパにでも来たのかと勘違いしてしまうほどでした。ヨーロッパの、例えばロマンチック街道を旅すると一つくらいは城壁の町とか見学に行くかと思いますが、外からの景色はまさしくそんな感じでした。

しかし、アグラ城のほうがずっと古いかな?全体の20%が見学コースになっていて残りの80%はインド軍が利用しているそうです。

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お城の中から川のほうを眺めるとその先には川のほとりにたたずむタージ・マハルが見えたりして中々良い感じです。

 
上にも書きましたが、ヨーロッパの城壁の町というのは王様が住むところがあって、そして町の人もグルっと囲まれた塀の中にあるのですが、ここはお城の中に町はなく、王様とさの家族が住むのみ、そして、ガイドさんは裁判所と言っていましたが、町の人が入れるところがあったりする感じでした。

それにしても砂岩というのは色が中々渋くて良いですね。あと、柱にある彫刻がすごい。砂岩なので削るのは楽だと思いますが良く今まで流れずに原型をとどめているモノだ。などと感動してしまいます。

 
以上で世界遺産巡回の旅の午前の部は終了です。お昼のランチでカレーを食べて午後の部に突入です。午後はアグラから車で40分くらいのところにあるファテープルシークリーに行きました。

午前中に暑い中を歩きまわってランチを食べたので移動の40分はとてもありがたい時間帯でした。車で移動したのでクーラーもガンガン効いていて、ふぅ。って感じで居眠りしつつ山の上のお城、ファテープルシークリーに着いたのであります。

駐車場から山の上のお城の入り口までは乗合バスに乗っていきます。

イスラムとヒンズー、そしてキリスト教と個々の部屋(建物)があったりして中々面白いです。日本では『五重塔』と言ってしまいそうな五階建ての建物は夕涼みのために作られた。と、ガイドさんが言っていました。壁がなく柱だけの建物はいかにも暑いインドらしいですね。

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ここは山の上で景色というか眺めは良いです。お城に住んでいた人は水が無くて大変だったとガイドさんが言っていましたが。まぁ、日本で言うところの『山城』でしょうかね。

お城から出て、バスで車の停めてあるところまで移動するのですが、途中のおみやげ屋さんを覗いてみるのも良いかもしれません;-)。

 
さてさて。これで本日のアグラでの観光はおしまいです。ここからアグラ市内に戻って晩御飯を食べます。これがまたカレーでして・・。orz。

で、ディナーが済むと再度駅へ行きます。今度はインド鉄道の新幹線に乗っていよいよ最終目的地であるデリーへ向かうのであります。インドの旅もいよいよ佳境に入っていくのであります。

なお、今回のアグラで見学した世界遺産の写真はもつ焼き写真館に掲載したのでそちらも合わせてご覧頂ければとと思います。

インドの旅。インド鉄道。

夏休みを利用したインドへの旅は今回が第三回目ですね;-)。

インドのベナレスで観光したあとはアグラに向かいます。来る時はデリーから飛行機だったのですが、今回は鉄道に乗ります。それも夜行の寝台車です。以前にシベリア鉄道に乗ったと掲載しましたが、今回もそんな感じです;-)。

いやー。僕は決して “鉄っちゃん” ではないのですが、色々電車乗りますなぁ;-)。『世界の車窓から』ちっくになって来ました。

今回の旅、ベナレス->アグラ間は寝台車で、アグラ->デリー間はインド版新幹線に乗っての電車の旅もあったので、今回はその二つをまとめて書いてみます。

 
まずは夜行列車ですが、その前に駅の風景を。ちなみに駅舎の写真は撮れませんでした。残念。
いやー。さすがはインド。人が多いですね。なので駅のホームが広い。で、ゴザとか敷いて寝ているとかいるし。そこで30分くらい待っていると電車が来ました。イヤに汽笛を鳴らしつつ入線してくるなぁ。と思っていたらなんとっ!! 電車の前を野良牛が走っていました。インドですねぇ;-)。

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そんなこんなで乗り込んだ寝台車、今回は二等寝台でした。一応、クーラーが効いていて窓が開かない車両ですが、ここでシベリア鉄道とベッドの配置について違いを掲載しておきます。

色が付いているのがベットの配置、赤いのがカーテン。でもってシベリア鉄道の場合には壁(部屋の仕切り)があります。白いところは通路です。

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上がインド鉄道で下がシベリア鉄道。インド鉄道の寝台車は一区画に上下二段で計六個のベッドがあります。それに引き換え、シベリア鉄道は上下に段で計の四個のベッドです。

あと、シベリア鉄道の場合は四個のベッドが個室の中にあり、ベッドごとにカーテンがあのにインド鉄道は四個のベッドと通路とはカーテンで区切られているだけ。ベッド単体にカーテンがあるのは通路側のベッドだけという、四個のベッドはプライベートな空間がありません。この辺りもインド的と言えばその通りですねf(^^;;。
ただ、カーテンが無いというのも有る意味良いかもしれません。電車の中でご飯を食べるインドの人を見ましたが、おぉ。右手でご飯を食べているんですね。生で見られましたf(^^;;。

しかし、ツアーの場合の席の指定は日本からはできないみたいで、行った時に「自分の席はどこになるんだろう?」とハラハラドキドキで楽しいかもしれません;-)。
ちなみに二階の席というか、ベッドには窓はありません。一緒に行った人と二階同士の席になると窓が全くない席になり、非常に悲しい思いをします(g_g)。

今回乗ったとき、ベナレス発のころには比較的空席がありました。が、アグラに着く頃には満席になっていたので途中からドドドと人が乗ってきたのでしょうねぇ。

せっかくなのでシベリア鉄道と同様にデッキの動画を撮ってきたのでインド鉄道の寝台車の雰囲気をお楽しみください;-)。30秒の動画です。





 
続いて、次の日の夜に乗ったのがアグラ->デリーへ向かうインド版新幹線です。まぁ、広軌の在来線を走るので”急行列車”というのが正しいかもしれません。

こちらがホーム入線の風景。車体はピカピカではないですねぇ。あと、ガラスが割れていたりするし。さすがはインド;-)。

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電車に乗り込むとシートは二列・三列で新幹線と一緒。しばらく待っていると時間的にちょうど良いのか、晩御飯が出て来ました。カレーセットです。さっき、電車に乗る前にカレー食べてきたばっかりなのに・・f(^^;;。まぁ、ここで出たカレーについてはもつ焼きオリジナルの「インドのカレー色々。」に掲載したのでそちらを読んで頂ければと思います。
カレーの後はアイスが出て、そして、ペットボトル1Lの水も出て来ました。いやー。サービス良いですねぇ;-)。

時間的にはカレーを食べた後寝てしまったのであまり記憶に無いのですが、シートもまぁまぁ良くて足置き場もあったのでそれなりにゆったりと座れました。が、はやり携帯で話している人がいたり、ボリューム全開で携帯ゲームをやっている人がいたり、子供がワーワー騒いでいたりと、インド的な部分も見受けられましたが、もしかしたらそれはインド的なものではなく、個人的な問題なのかもしれません;-)。

電車の旅も中々良い感じのインドなのであります。

インドの駅と電車の様子についてはもつやき写真館にアップしているのでさちらも閲覧して頂ければと思います。

インドの旅。ベナレス・サルナート。

夏休みを利用してインドに来ました。前回のネタは往復の飛行機について書いてみました。多少飛行機が遅れたのでデリーのホテルに着いて寝たのは02:00過ぎ。
朝ご飯をホテルで食べてインドの国内線の飛行機でデリーからベナレスへ移動します。ベナレス空港についたときは雨。さすがは雨期ですね。

いよいよベナレス及びサルナートの観光です。まずはホテルに行って荷物を置いてお昼ご飯を食べます。そして午後にサルナートに行きます。サルナートはブッダの世界ですね。お釈迦様が悟りを開いた後、初めて説法を説いた場所で仏教の四大聖地のひとつと言われています。
僕らが行ったときには(多分)北朝鮮の団体さんが来ていました。最近は仏教国は少ないですからね。

ムルガンダ・クティ寺院を見学し、壁画でお釈迦様の一生をまずは知るのであります。日本人の野生司香雪も壁画の一部を書いているのですが、金色の本尊の右側に日本語が書かれています。
壁画をガイドさんに解説してもらって思ったのは時代的には違うけど、弘法大師もお釈迦様のようにあちこち歩き回りつつ説法して歩いたんだなぁ。と、いうこと。悟りを開いた人(と、言って良いのかな?)は行動が同じになるのか、もしかしたら弘法大師がお釈迦様の教えを真似たのか? そんなことを思ってしまいました。
あ。僕はお遍路を趣味としています;-)。

それにしても今回行ったときは修復中だったため本尊には布がかけられていて顔しか見ることができなかったのはちょっと残念だったかな。
その後、すぐ横にあるダメークストゥーパを散策します。

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そして考古学博物館も併せて見学します。ここにはダメークストゥーパの石柱(アショカ王柱)の上の部分にあった四匹のライオンの像が入り口にでーんっ!!とあります。インドではお札に書かれていたり、パスポートに書かれていたりして非常に重要なモノとして扱われています。
この博物館は写真撮影は禁止なので自分の目でじっくりと見てきました。

 
サルナートでの観光のあとはいよいよベナレスに移動しガンジス川を見に行きます。それにしても『ベナレス』は『ワラナシー』とか『バラナシ』などと、言い方がたくさんありますねぇ。

夕刻近くの街を散策し、ガンジス川の畔まで行くのですがっ!! ぬ。ぬあんとっ!! 15年ぶりくらいの大洪水だそうでガンジス川の川の水が市内にドドドと流れ込んできているのでありますっ!!

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なので火葬場のほうには行けないは、翌日のボートによる沐浴の見学ツアーには行けないわで、それなりにちょっと悲しい状態だったのであります。が、考えみると15年に一回のタイミングでガンジス川が見られたというのもそれはそれで良い思い出かもしれません。

ちなみに二ヶ月ほと前にもう少し上流で大洪水が発生してたくさんの人が流されたとニュースになっていましたね。

 
それにしても街の中は賑やかです。ヒンズー教のお祭りがあるようで、僕らが行った次の日から二日間は街中賑やかになるそうです。

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次の日の朝早くに沐浴の見学に行ったのですが、やはり船は出ませんね。お上の方から「しばらくの間ボートは中止。」というお達しが出ているそうです。上記写真は手前は沐浴の風景ですが、後ろのほうの川の本流ではうなりを上げて流れていました。これじゃ無理ですね。

そのあとはヴィシュワナート寺院に行きました。こちらはヒンズー教のお寺で、テロを警戒していて、警察や軍隊が厳重に警護しています。金色のお寺でシヴァ神が奉られているそうです。塀の外からの見学で写真撮影は禁止されています。

 
今回は地元のガイドさんに案内してもらいました。なので色々お話が聞けたのと、市内を散策していても一応安全に歩くことができました。
いやー。それにしても “The インド。” って感じがする街で、喧噪、生命力、宗教的な力、そして道路を行き交う乗り物のクラクションと物売りの人々が相互に連鎖して、そこに更に野良牛・野良犬・野良羊がいて、それはそれは凄いところでした。

ベナレス・サルナートの写真はもつ焼きオリジナルのもつ焼き写真館にアップしているので併せてご覧頂ければと思います。

インドの旅。行きと帰り。

八月の最終週を利用してインドに行って来ました。前回からですが、これから数回に渡ってそのときのをネタにしてエントリを書いてみたいと思います。

一回目はインドへの上陸と帰りについて。つまりは飛行機のネタですね。今回の旅は以下のような行程になりました。

成田 -> 上海 -> デリー -> ベナレス(バラナシ) -> アグラ -> デリー -> 上海 -> 成田

成田空港から飛行機でインドに行くのですが、途中、上海の浦東空港でトランジットしてからインド上陸です。旅はそんなに高くないので利用した航空会社は中国東方航空でした。今回はその飛行機についてちょっと書きますね。

成田から浦東空港までは成田16:55発のMU522便でした。上海に着くのは19:00。そこから二時間程度時間をツブしてMU563便で浦東空港発21:05、デリー着01:25の飛行機に乗ります。

時間は全て現地時間です。

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成田を夕刻に出発するので時間にゆとりがあります。ただ、デリー到着は遅くなりますがf(^^;;。

往復トランジットが入るので都合四回ほど中国東方航空を利用したのですが、いやはや。全ての便で機内食が出ました。機内食が出る前にドリンクのサービスがあるのですが、なんとっ!! ビールが飲めるのであります。青島ビール。なんか久しぶりに炭酸の弱い青島ビールを飲んだのでテンションはちょっと上がり気味(ただ、酔っただけとも言う;-)。

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写真はMU522の機内食。アテンダントの人に「beef or fish?」と聞かれたので「Fish!!」と答えたら、なんと鰻丼が出て来たのには驚きました。まぁ、当然中国産のウナギだとは思いますが;-)。

MU522のあとに乗ったMU563便でも夜食チックなのが出て来て、で、やはりドリンクサービスで青島ビールを頂きました;-)。

以上が行きの飛行機でした。続いて帰りの便のお話ですが、今度はデリー発02:45のMU564で上海の浦東空港に着くのは11:00。トランジットが六時間くらいあって、浦東空港発成田行きはMU271で17:10発20:55着な飛行機でした。
デリー発は深夜というか、FreeBSDのセキュリティcronが動作する前の時間(こんなこと書いても誰も解らんてf(^^;;。03:00にcronが動き出します)帯なのに飛行機に乗ったら夜食が出ました。あ。青島ビールも飲めますが;-)。

ダラダラと上海の空港で時間をツブしつつ成田に向かうのもはやり晩ご飯が出て。いやはや。ちょっと食べ過ぎか?とか思えるほどでした。あぁ。まぁ、味については多くは語りませんが;-)。

あと、中国東方航空の飛行機ってのはけっこう出発搭乗口に変更が多いです。今回は四回乗った内、二回ほど搭乗口が変更になりました。なので、もし中国東方航空の飛行機に乗る場合には空港の電光掲示板及びアナウンスに気を使ったほうが良いと思われます。

 
で、インドのデリーの空港についたらこんな感じです。

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仏教・ヒンズー教・イスラム教の国に来たわけですね。もう夜も更けているので明日の朝からインドのあちこちを歩き回ることにするのであります;-)。

ダージリンとオレンジペコ。

八月の最終週に夏休みを取得してインドに行って来ました。

インドでお土産を買ってきたのですが、インドのお土産と言えば紅茶でしょう。と、いうことでダージリンとオレンジペコを買ってきました。

ヲイヲイ。インドまで行ってガルパンかよー。って感じはしないでもないですが;-)。

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ダージリンは簡単に手に入ると思っていましたが「オレンジペコって簡単に手に入るのかな?」などと思っていたら、こちらもあっさりと手に入りました。と、いうかお店にありました。
すると、アッサムはどうした? などと声が聞こえてきそうですが、登場回数からするとこの二人が多かったのでこの二種類をお土産で持ってきた。と、いう感じなのであります;-)。

インドってのはその昔、イギリスの植民地だったのでチャーチルやマチルダが見られるかなぁ? とか思ったのですが、考えてみると先の大戦では日本とインドの連合軍でイギリスから勝利をもぎ取った(独立を果たした)のであるわけはないか。みたいな。

 
で、話は思いっきりとんでもないほうに行ってしまったのでもとに戻して、紅茶を飲むためにヤカンも買ってきました。

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飾り用で多分使うことはないとは思うんだけど、中々良い感じでしょ;-)。

 
と、いうことでいきなりお土産の話から入ったインド旅行。これから数回に分けてツラツラと書いて行ってみたいと思います。どうぞお楽しみに;-)。

風にころがる映画もあった。

本田だなを整理しようカテゴリですが、今回がちょうど50回目でしょうかね。本棚から既に50冊の本がなくなった。と、いうことですね。ただ、今の段階では文庫本ばかりを読みふけっているわけですが。

で、今回読了した本は椎名誠の「風にころがる映画もあった」になります。

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以前に読んだ「さよなら、海の女たち」をどこか頭の奥のほうに引きずっていて、この本の中の最終話の『三分間のさようなら』が今回読んだ本をターゲットしているんですね。

両方読まなければそのつながりが解らなかったりするんですが、そもそも怪しい探検隊の本というのはそーいうのが非常に多くて「あれも読まねば、これも読まねば。」状態になるんですが、今回の本は綺麗につながったような気がします。

今回読了した本と「さよなら、海の女たち」はどっちを先に読むべきか?問題はあるかとは思うのですが、両方読んで話はつながるのであります;-)。

あ。本文についてちょっと書いておきましょう。『第一話』は読んでいて著者の映画に対する『想い』というのが伝わってきます。なるほど。これを読んだら手紙を書きたくなるよなぁ。と、僕も納得してしまいます。
そして、解説の沢田康彦氏(おぉっ!! 前回読了した「長く素晴らしく憂鬱な一日。」も同氏の解説だぁ;-)も書いていますが、沢野ひとし氏の木工と自分の映画にのめりこんでいくその対比がこの本のテンポを俄然良くしていると思います。

著書のこの後の映画に関する本としては、僕の記憶が確かならば「怪しい探検隊アフリカ乱入」を通じてガクの冒険の「四万十川よれよれ映画旅」(あう。著者は沢田康彦氏ですね)に行くとおもうんですけどもね。

と、いうことでつながりの本はまだまだ本棚にたくさんあるんですけども。

どんどん読むぞぉ;-)。

栃木県さくら市。喜連川温泉。(元湯)

久しぶりに喜連川温泉に来ました。そして、久しぶりの元湯に入って来ました。
ここのところ喜連川の温泉に行くと露天風呂によく行っていたのですが、今まで三つあった公営温泉(道の駅のも入れると四つですね)の二つが閉まっている状態だったのであります。

以前に掲載した喜連川スカイタワーのすぐ横にあった温泉は東日本大震災と台風の影響で閉館になってしまいました。そして、今回訪れた元湯は今年の春に土砂崩れの災害から復活して営業を再開したのであります。

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こちらの写真は川側からの眺めです。温泉施設の向こう側の壁(どちらかというと山屋用語です)は工事が完了した状態です。この壁が東日本大震災で崩れかけ、その年の秋に来た台風の影響で一気に崩れてきた。とのことでした。幸いなことに死者も出るようなこともなく、懸命に復旧活動が進められた。とのことでした。

あと、総工事費は28億円だとも聞きました(温泉の受付の人から)。

と、いうことで今は無事に復活しました。これでまたちょくちょく入りに来ることも出来そうです。温泉自体はすごく良いのでね。

温泉に入って河原で BBQ して川で釣りして。この辺りは本当に楽しめるところがたくさんです。復活して何よりです;-)。

GPSポイント: 36.717124,140.020093
営業時間: 07:00-21:00
日帰り料金: 300yen

長く素晴らしく憂鬱な一日。

本棚を整理しようカテゴリーです。今回読み終わったのは椎名誠の初期の頃の本「長く素晴らしく憂鬱な一日」です。角川文庫から出た本です。

本書はブルータスに掲載されたものをまとめた本になり、解説には当時の編集者である沢田康彦氏が書いています。彼の文章も解説で何回が読みましたが上手な文章ですね。
ちなみに著書のあとがきはありません。まぁ、どうしてあとがきや文庫本のためのあとがきが無いのかそこはかとなく解るような気がしないでもないですが;-)。

で、こちらが今回読み終わった本の写真です。

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本文は・・。著者の初期の頃の本で本文中にも沢野ひとし氏が登場して行っていますが「もっと改行があったほうが良い。」とは読んでいる僕も思います;-)。

内容的には新宿でダラダラ飲んだくている感じかな;-)。そー言えばついこの間新宿の「浪漫房」に行ってきたばかりなのでタイムリーと言えばタイミングが良いですね。

そして、僕も昔の会社は新宿にあって、今はもう無い『らしんとんパレス』に勤めていた頃もありました。時期的には多分著者とダブる時期に同じ新宿にいたのでもしかしたらすれ違っていたかも;-)。

そんなこんなの新宿のお話が書かれている一冊なのであります。

銚子電鉄のぬれ煎餅。

近所のスーパーでお買い物していたら棚にけっこうなスペースが確保されていてどーんっ!!と置いてありました。「ぬれせんべい」。

銚子電鉄が鉄道を守るために発売したという有名なおせんべいですね。

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今回見かけた近所のスーパーというのは千葉県が本社のスーパーなのですが、千葉県の企業同士がお互いに手を取り合って、鉄道を守るために棚を確保したのかなぁ? などと、ちょっと思ってしまいましたが、それはそれで非常に良いことだなぁ。と思いました。

でもって、僕的にも「こんなスーパーにも置いてあるんだねぇ。」と感動してしまい、(お財布を握っている)奥さんに相談したら「銚子電鉄のために買ってあげなさい。」とのことだったのですかさず購入ました;-)。

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家に帰って来て食べましたが、しっとりした感じで醤油の味がピリリと効いていて中々美味しいのでありました。

それにしても、今回購入したスーパーで見かけたのは初めてだったのですが、以前から置いてあったのかなぁ?

美味しいし、鉄道を守るためにちょっとでも強力できれば。と思うので次回もまた買うかも知れません;-)。